潜水服は蝶の夢を見る





潜水服は蝶の夢を見る


泣いたわ
理由無く泣いたわ
ふつう泣くときは、「いまこんな感情なんだと意識している」
たとえば
ドラマを見ていて
「悲しい部分」に泣いたり
「ひどく頑張っている姿」に自分を思い重ねて泣いたり
「ただ、あまりの美しさに」泣いたり。


しかし
潜水服は蝶の夢を見る

違った。


身体が、身体が、泣いていました。
自動的に。


もちろん字幕と音声と映像を
受けて
「涙」というかたちで身体から解き放たれたんだけど
心も、どこかスッとした、毒を涙に還元した
そんな感じがします。


いやいや「毒」なんていうと、誤解されちゃうな。
毒にもなりはしない、このくだらない自分の心とか行為とかコトバとか、毎日生きる、繰り返して、じつは無目的に生きている、しかし「自意識」や「自我」からの欲望から自由になれないじぶん、それって、、、


みんながみて
いい映画かどうかは
わかりませんが、
ともかく
潜水服を着せられて、身動きできない状態の
家庭人
サラリーマン
そして
じぶんを偽っている人、
なんか「こうではない人生」を生きている人、
閉塞感のある人
人間がしんじられないひと
「もうどうしようもないよ」と思考停止になっている人
、、
というか、じぶんのなかの一番奥の、隠れていて、あるかわかんなくなっている「人間性」とか「尊厳」とか、そういうのについて考えさせられます、というか、「なぜ動物でなくて人間に生まれたのか」「社会的に生きるってどういうコトか」???

、、、、、
この映画が鍵になって
ちょっとトビラが開く可能性、あります  Y



2008年02月29日 09時16分 |  コメント( 0 ) | トラックバック( 0 ) | 
文学って『一回性の生』の証なの?






去年の暮れから、かなり深くまで、入り込んで
クラッシック音楽を聴いています。


もちろん膨大な歴史と作曲家と楽曲と演奏があるので
ぜんぶに耳を通すことはできませんが
ともかく現代に残っている「作曲家」をチョイスして
交響曲を中心に聴いています。


ともかく「好き」で「好き」でしかたないのは
『グスタフ・マーラー』です。
とくに10番と9番。


マーラーには死の影がつきまといます。
また宮廷音楽ではなく、貴族向けの音楽ではなく
いわば「私小説」みたいな曲ばかり作っています。


1911年に51歳で死にました。
わりと最近といえば最近ですが、
ベートーベンよりブラームスよりブルックナーよりモーツアルトより、
私の精神にしみ通ります。
バッハに近いです。


バッハも広すぎて、まだ把握していませんが
バッハの場合、無伴奏バイオリンが、もっとも心を揺さぶります。


現代音楽家は、いったいなにをしているんでしょうか?
坂本龍一?
ちゃいますよね、あれはPOPです。


現代美術はナラヨシトモやムラカミタカシが世界的に
頑張っているようですが
ぼくには横尾忠則や諏訪敦には、まるでおよばない
ダメダメ現代美術評論家のビジネスアートでしかないと思います。
というか
そもそもアートじゃないよ、あんなもん!


アートは、究極に言えば
「創造と破壊の繰り返し、、、死からの逃亡、、、、毒と血と光、、、生きるという血なまぐさいに泥臭い幻滅を、光に変える行為」だと思います。


日比野克彦がやってるのはイベント、ゲームです、あんなもの、ほんと無くなって欲しい。
みんな勘違いするじゃないですか、芸大の先生だし。


現代音楽はだめだめ
現代美術は、「新しくないかもしれないけど」いいものがある。
そして
現代文学は
昨日の朝日新聞の文芸時評を読むと
「文学とは、他の人とは成り代われない『一回性の生』」の証なんですって、
馬鹿馬鹿しい、
そんなこと何千年も前から言われてることだし
そもそも紋切り型すきで、だれの心もつかまないよ!


s@rs52rg¥w@6-Zw.
ドストエフスキーで、終わってる
ってことですね。
百年後に残るケータイ文学でも目指してください、ってんだ!


dtd
しかし
しかし私は、私もコトバしか武器はないので
やはり死を、詩を、書き続けると思います。Y

2008年02月28日 09時36分 |  コメント( 0 ) | トラックバック( 0 ) | 
「おじさん」「オヤジ」と呼ばれて良いの?





もっとも顕著な例が
「ちょいモテオヤジ」
「オヤジバンド」


おやじたちが、そう呼ばれて、受諾するだけでなく、歓んでいる!
阿呆か、と思う。


オヤジ
というのは差別語に近い、侮蔑語だったのに
それで
歓んでいる!


名前は言わないが
関西の大学教授で
「構造主義」を一般人にかみ砕いて伝えていて
好感を持っていた人がいましたが
じぶんのことを「おじさん」と定義して
おじさんの観点から物事を言っていることに、きのう気づき
幻滅しました。


みんなちゃんと、
言葉の意味、その背後に含む善意も悪意も含めて
ちゃんと認識してから
使わないと、、、、、、、、、、
そういう意味で
現代は、かなりプライド無き時代です。


ビジネスエリートがもてはやされますが
彼らに
いかほどの尊厳に対する、
ほんとうの意味での「社会貢献」に対する
思いがあるか、
(私も含めて)、、、
日本語でコミュニケーションする私たちは
日本語に対して
もっともっと敏感でなければなりません。Y

2008年02月27日 09時53分 |  コメント( 0 ) | トラックバック( 0 ) | 
昔の私です





むかし歌手を目指していました。
挫折しました。
いいところまで行きました。
テレビ、雑誌に出ました、ところ
一回のライブで客が百人来るようになって
有頂天になっていたら
半年後は、三人になっていました。


よくある話です。


けれど
歌は今も大好きです。Y

2008年02月26日 09時21分 |  コメント( 0 ) | トラックバック( 0 ) | 
マルセルデュシャン遺作



デャシャンの遺作「1. 落ちる水、2. 照明用ガス、が与えられたとせよ」です。
60を過ぎてから、
生まれて初めて「恋」をしたデュシャンの
かなわぬ恋の結晶です。


ところで新聞を35歳以下の人たちが
まるでとらなくなって
ネットで情報入手していると聞きますが
ネットはたしかに「どんな情報」でもありますが
何を調べるか
検索するか
興味を持つか、、、という
最初の接点を、出会いをもたらしてくれるメディアとしては
まだ弱い。
というか
小さい世界で固まってしまう。


というのは実は私、新聞とテレビから情報で
そこで初めて興味を持ち
グーグルで検索する、というブロセスがあまりに多く
そして恩恵を一杯享受しています。


朝日新聞と
NHKには頑張って欲しいです。


というか
じぶんが
朝日新聞とNHKにれなれなか日々模索します。Y

2008年02月25日 11時24分 |  コメント( 0 ) | トラックバック( 0 ) | 
目よ、顔よ、、、布よ、、、





カストロとともにキューバ革命の中心実物だった
「チェゲバラ」は
60歳ぐらいの人たちにとっては
ジェームスディーンであり
ブルースリーで
あったんだって。


つまりは
顔とスタイルがよくて
スターで
夭折してしまった。


汚れる前に、死んだ、とも言える。



、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、



歳を取ると汚れる。
キムタクだって、もうすでに汚れているし
ジョニーデップはぎりぎりのところで清潔だけど
ぷらっどぴっともなんか不潔を否定できない。
いや、ジョニーも汚いね。


「リバー・フェニックス」は早く死んだから
まったく汚れなかった。


、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、



そして、その汚れの正体について、わたしは昨夜、やっと「思い当たった」のでした。



汚れの元凶は<<< 欲 >>>なんです。



欲が見える年寄りは、気持ち悪い。
その
証拠に
映画評論家の淀川長治さんなんか、まるっきし清潔でしょ、、カワイイ!
マルチェロマストロヤンニもかわいい。


それは「欲」を超えちゃったから、なんだよね。
枯れた、
みたいないいかたもできるけど
たぶんそうではなくて
「純」になった。ということなのだと思います。


そういや、松下幸之助も「欲」感じないですね。


欲の塊(かたまり)の私が言うのも何ですが、汚い老人にはなりたくないと心から思いました。Y

 


 



2008年02月25日 10時06分 |  コメント( 0 ) | トラックバック( 0 ) | 
精密に息するか、だいたいでいいか





息をすることは、生きることである。
あらかじめ脳にプログラムしてあるので
意識的に息をしなくても無意識に息をしている。


しかし仕事はそうはいかない。
電車に乗るのも。
花屋で薔薇を買うのも。
本屋でエロい写真集をつい手にとってしまうのも。
タワーレコードでセロニアスモンクについて質問するのも。
トイレで手を洗うのさえも。


ぼくは
小さい頃から
学校で「きちんとやりなさい」と教えられて
それに縛られていました。
きちんと
というのは
言い換えると厳密に精密に、ということです。


それでつぶれる人のいかに多いことか。



だいたいでいいじゃない。Y



2008年02月22日 09時21分 |  コメント( 0 ) | トラックバック( 0 ) | 
諏訪敦 さんは リアディゾン なんか描きませんよ




という、わけのわからないタイトルで、ごめん。


ともかくさいきんの私は
・諏訪敦 さんの佐藤美術館での個展
・マーラーの交響曲10番、インバル指揮
・ヒルサイトという横浜市主催のボランティアみたいなやつ



はまっています。


私の知人が占い師に私のことを占ってもらったら
「ものすごい元気でエネルギふあれる人」
なのに
なにかがそれを押さえ込んでいるそうです。


何か、はわかっていますが、
ここでは書けません。

しかし何か、わかっていても
変えられないこともあるのです。


きのう夜中のNHKで楽天の野村監督が
言ってました。
「よく、夜中に選手集めてみーてぃんぐやるんだけど
・なぜ生まれてきたのか
そこから話さんと、はじまらんのよ」
「なぜ生まれてきたか、それは
・生きるため、よ
そして
・存在するため」
「そのために『今日をどう生きるか』それを考えんとね」



なんとわたし
きょうからHTMLデビューしそうです。
しかし
プログラムって
英語と数値なのですね。
もう頭いたいです。
まじ、できんのかなぁ?


ま、でも、そこらへんの兄ちゃん、お姉ちゃん

プログラマーもいるわけで
たぶん
できないはずない、ということにしときます。


ところで
ぼくが大切にしているのは
「はみ出ている」ものだということが再認識できました。


昔(今もあるかもしれないけど)
おにぎりを作る容器ってあったじゃないですか。
三角形の器にご飯を山盛り盛って、三角形のフタをする、
すると
きれいな
おにぎりができる。


しかし、
山盛りに盛っているので
かならず
はみ出るご飯があるんですね、
ぼくは「アレ」です。


「過剰なモノ」と言い換えてはいけません。
そもそも
文化というのは
日常生活の「はみ出しモノ」なんですから。
へへっ。山



2008年02月21日 10時15分 |  コメント( 0 ) | トラックバック( 0 ) | 
演繹法、帰納法、、、答えが先にはありません





わたしは演繹法です。
こたえをさぐるための数式を、生活の中で
仕事している途中で探りながら、
というか「答えなんか」ない、とまで思いながら
その「経緯」を愉しんでいます。


一方、世の中は「目標数値」とかいう「答えに向かって」帰納法で動いています。
そこにはメディアや手法が目白押しで
「成功するための本」の数の多さが、それを証明しますが
その答えの総てが、ばくぜんとした豊かな暮らしであるとか
富裕層になるとか、、
そんなもんですよ。


もりあつし(作家)が言ってましたが
子供達に一度はゆとり教育とかいって考えない頭にして
こんどはつめ込み教育にする文部科学省。


その先にある
大人になってからのビジョンが
まるで示されていないと。


例えば東大、慶応、早稲田を出て
官僚になって、あるいは一流企業に入って
それなりのカミさんをもらって
子供を二人つくり、休日にミシュランレストランで食事する?


たまに同僚とカラオケに行ってストレス発散する?


東京マラソンに出て完走して、感激する?



それって、うれしいの?
こどもが憧れる「夢の未来」なの?



ですよ。


こどもの夢というのはもっと漠として、しかしでかい。
それの
受け皿が世界にはない。
なのに教育。


教育は「思考するための」訓練の場ですよ!


いかに
体制とか権力とか企業のたくらみに負けず
じぶんの意志で、じぶんの価値観で、じぶんで考えて行動するための
きっかけを与える場でなくちゃなんないんじゃないの?


ぼくらは
日本人だから
とうぜん日本語という言語で思考するわけで、
ぼくなんかに言わせると
「作文」で思考する、そんなことに一番長い時間を割いた方が良いと思います。


こうやって
こんな幼稚な文章しか書けない僕ですが
それでも
かなり「考えています」。


受け売りではありますが、、



1.「書きたいこと」があって文章を書くのではなく、書かれたも文が「書きたいことだったのだ」
とか
2.自分と他人がいて「コミュニケーション」が生まれるのではなく、コミニュニケーションがあって、はじめて「他人」と「自分」が発見される。
また
3.もともと物々交換を効率化させるために「貨幣」が発明されましたが、今は貨幣(お金)を増大するために「物々交換」している。しかも「物」が、「物」そのものがモノとして存在しない、データだったり、予測だったり、相場だったり。


まるで意味と価値が逆転した世の中です。


そんな中で「幸福」に生きるとはどういうコトか?
(知りたい人は私に訊いてね)




2008年02月20日 09時20分 |  コメント( 0 ) | トラックバック( 0 ) | 
「現実」? 「ファンタジー」?




ゲツク(月曜夜九時のフジテレビのドラマ)の「薔薇のない花屋」
、、
ネットの書き込みのよると
「あんなん、ファンタジーじゃない、現実って、もっとドロドロしてるよ」みたいな
声がいくつかありましたが、


みなさん、大勘違いです。


現実とファンタジーに境目なんてないですよ、
ドロドロした現実、っうのもわかりますが
そんなもの
疲れ果てたサラリーマンやOLが

ドラマで見たいわけ無いでしょ?


あそこでいいたいのは、
とくに昨日の回は
「嘘を憑(つ)かないでも言い相手が一人でもいると、安心して眠られる」
ということ。


もうひとつは
「うそをつかないでも生きていける」可能性があること、
それだけですよ。


みんな嘘ぱっかついて。
(そんなことないですか?)


ぼくは、自分にも嘘をついて罪悪感に苛まれていますが
嘘をつかない相手が
ひとりでもいると、そんな幸福、それこそ安楽、それこそが心を綺麗にする唯一の
方法かもしれないと思います。


とはいえ
そのドロドロした現実は、なくはなりません。
が、
そんなものに飲み込まれてどうする!


それが生きるコトという闘いなのでは? Y

2008年02月19日 09時21分 |  コメント( 0 ) | トラックバック( 0 ) | 

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